こんにちは。齊藤です。
先日、とある重大な席にて重大な選択をする機会に遭遇しました。
そこで思ったことは、とある決議を採択をするならば賛同する側、反対する側が公平と思える環境を用意し偏りのない情報を提示することで、両者の意見を投票有権者が鑑み、いかなる脅迫もなく、匿名性を確保した投票をしなければ、議決に対して全ての人の納得を得られるものではないと感じました。
民主的で公平な採択であれば、否決側も納得せざる得ないし、それが民主主義だと思います。
もうひとつ思ったことは、何か情熱じみてるというか、ある一方のサイドに熱意が傾倒すると歯止めがきかず、シーソーはどんどん傾斜していってしまい、きっとどこかの角度が定量なはずなのに、それを通り越し自壊してしまうのではないかという危惧を感じます。
アドレナリンが視野を狭め、気づいたらもう戻れない崖っぷちに立っていないこと願うばかりです。
僕の先輩がこう言っていました。『嫌な奴ほどよく話す』
情熱とともに冷静さを身につけ、多角的に自分を見つめたい。
無理と知りながらも、それでも全ての人と対話し妥協点を探し、皆が納得してほしいと思います。
そして、なによりも僕が嫌うのは誤解です。人間それぞれ感覚が違うので同じものを目指していても、勘違いから仲たがいをするのが人間。
まさにバベルの塔とはそういう事です。
all for one, one for all.
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